家庭料理は大切な自分へのしあわせのプレゼント

誰よりも大切な自分と、大切な誰かのために・・・。
ほんの少しの手間だけで短時間でできる、素材を活かした家庭料理が並ぶ食卓を囲む。
それだけで、心が満たされ身体も健康でしあわせになれることを知ってもらえたら。

今の仕事を選んだ理由、思い返してみると

なんで家庭料理の仕事をしているのか、を聞かれたらどう答えるかしら? と、最近、自分自身に問いかける気付きがありました。
どうして、安定した会社勤めを止めて、不安定に思える仕事を選んだの、と。

生まれつきのアトピーが、娘の出産後、人生最大級に酷くなったことが大きなきっかけの一つであったことは、これまでに何度か書いたことがあります。

アトピーが全身症状になり、それまで出たことがなかった顔まで真っ赤になったのは、大きなショックでした。
産後の激務や転居などがかさなったこともあり、疲れがピークになり体調を一気に崩した時、その前数ヶ月間は自炊が少なかったことに思い至ったのです。
症状が酷くなったときにステロイドに頼って少し軽減する、というそれまで通りの対処療法では同じことの繰り返しになる。
体は「食べたもので出来上がっている」ことを実感したことで、体の中から変えていこう、根本から治すことをしようと食についてより真剣に、注意深く調べたり考えたりするようになったこと。

保育園に行っている娘の周りに居る、お友達の子供たちの体調その他も大きな驚きでした。
喘息などアレルギー疾患のある子供たちが本当にたくさんいたことを始め、体調がすぐれない子供たちが予想外に多くいるように感じました。
そのことが、それぞれの家庭の食環境とリンクしているのではないか、といろいろなことから感じたこと。

そして何よりも、もともと料理が好きで幼い頃から料理の仕事に就きたかったこと。
手のアトピーが酷く諦めていた料理への道が、食を見直しよくなったことで長時間の水仕事もできるようになったこと。
主人のバックアップなど、複合的な理由があります。

でも実は、今まで書いたことのない、もうひとつ大きな理由があったんです。

それは止めたくてもどうしても止められなかった「摂食障害」が、主人と一緒にいるようになってあっという間になくなったことでした。

型にはまらないと親に認めてもらえない、自己肯定ができず苦しんだ日々

10代後半から35歳までの十数年間、「摂食障害」、それも体型には出ることがない、食べ吐きを断続的に繰り返していました。
自分が生まれ育った家庭の問題、両親との関係でもがき苦しみ続けていたのです。

典型的な昭和一桁生まれで、自分の思い通りにならないことがありカッとすると何をするかわからない父。
芯は強いけれど、自身も過酷な経験を生き抜きその中で自分さえ我慢すれば、という生き方を選択し「ことなかれ主義」を貫く母。
外から見ると普通の家庭に見えたと思うのですが、本当にいろいろなことがありました。

もちろん教育もきちんと受けさせてもらったし、しっかり食べさせてもらい、いろいろなことも教えてもらいました。
楽しい思い出も沢山ありますから、両親には心から感謝しています。
両親自身が時代的背景も含め、成長する過程でさまざまな「負の思い」を抱え、それを押し殺しながら生きていたこと。
父や母にいろいろなストレスがかかってその「負」の感情が抑えきれなくなると、子供に、それも家族で一番年齢が下で弱い立場の私にさまざまなことが降りかかってきました。

小さい時から布石はずっとあったのですが、本格的に集中したのが一番感受性の強い思春期の数年間でした。
その時期になると体はすでにほぼ大人ですから、何を言ってもしてもきっと大丈夫だ、と思われたのかもしれません。
でも、まだまだ精神的に未熟だった「本当の私」にとっては、その経験はあまりに辛く精神的にも肉体的にもすさまじいダメージを受け続けました。

「何もなかったかのように、親が求める明るい娘として振る舞い続ける」ということを求められる毎日。
幼い頃から父の顔色を見、母の様子をおもんばかることを習い性にして、自分自身をなんとか守ってきました。
両親の機嫌を損ねぬため、家族が表面的にでも穏やかでいるために親の思い描く通りに振舞うことをしなくてはいけない。
自分がそう振舞わなかったら、即座に拒絶される。そして居る場所がなくなる。

明るく元気でいるのは当たり前。でも、明るいだけで感情の起伏はなるべく出さずに、とある程度の年齢になってからは言われ続けました。
「感情の起伏が大きい激しいあなたの気性は、よくない。なるべく感情を抑えて過ごさないと。感情を表面に出さないようにしないと」
母は娘が生きやすいように、と思っての発言のつもりだったのしょう。
でも小学校高学年に最初に言われた時、自分自身が否定されたようにしか感じることができなくて。
自分はありのままではダメな子なんだ、自分はダメなのだ、だから なんとか親が思い通りの姿にならなくてはいけない、と。

ずっとそうやって振舞って生きていると、実際の自分がどう感じているかということからも目を背け続けるのが当たり前に。
ありのままの自分がではダメだ、と、ひたすら自分を傷つけ続ける方向へ向かいます。

思春期の過食、そして食べ吐きへ

もともと料理やおかし作りが大好きで、食べることも好き。
それは料理やお菓子を作っている時だけは、母が褒めてくれ否定されることが絶対になかったからです。
女性は料理から縁が切れないから、キッチンに立つことを楽しんで料理を作って欲しいと思い、褒め続けたのだとのちに知りました。
そのことは、今でもとても感謝しています。

中学~大学にかけてはお菓子作りがメインで、母の持っていたベターホームのお菓子の本を参考にして徹底的に作り込みをしたりオリジナルレシピを試したりしていました。
食欲旺盛な時期に重なったこと、食べることで無意識にストレス発散をしていたこともあり、とにかく食べてばかりで太りました。
太った私を見て、母は「そんなに太って気持ちが悪い、痩せないとダメだ。そんな体型ではダメ」と。
とにかく痩せなくちゃ、痩せなくちゃと思ったことをきっかけに、食べるだけから食べ吐きの摂食障害へ移行していきました。
自分自身が摂食障害だという自覚も、ある程度まではなかったんです。実は。

食べ吐きに関しては、父は持病がある父自身のことと自分の兄弟以外には基本的に無関心で気がつきません。
母は薄々感じて「大丈夫か」ということもあったようですが、私の記憶には残っておらず、それ以上踏み込んで何か言うことはありませんでした。
もしかしたら、言うことで何かあるくらいなら何事もないように振舞って過ぎ去ってくれれば、と思っていたのかもしれませんが、よくわかりません。

私が精神的に切迫していることを最初に感じ取ったのは、中高の同級生で私よりも先に同じ大学の心理学科に進学した当時の友人でした。

小さい時からとにかく元気で明るくて、悩みなど何もないようにしか見えない。
ずっと人生うまくいっているんでしょ、自信満々なんでしょ、と人にずっと言われ続けていました。

当然のごとく、どのご家庭にも多かれ少なかれいろいろなことがあるのは当然です。
とはいえ、まだ若かった私は、その時点ですでにいっぱいいっぱい。
友人から、大学にあったカウンセリングルームに行くことを勧められ、実際に1年ほど通いました。
その時は一瞬、解決したように思えました。
でも 結局は自分自身に自信が持てない、自己承認ができていないことを自覚することができず、表面的にしか解決できていないことにも気付かぬままでした。

そして就職。
でも、なかなか同年代との人間関係がうまくいかない。
自分の感情の起伏が激しいのがいけないんだ、自分がいけないんだ。自分がダメなんだ、と。
人が私に持つ印象とは裏腹に、自分自身に本当の意味で自信がないことが根本原因なのを気づかぬまま、ずっと迷い続けました。

ちょっと状況のいい時期には食べ吐きは止まります。
でも本当の自分で居ていい、大丈夫なんだという自信が持てないままだから、ちょっとしたことで食べ吐きが再発します。
その繰り返しが十数年間続いて、もう一生このまま吐き続けるのではないか、と思うようになっていました。

心の穴が埋まって、食べ吐きも気付くとなくなっていた

自分自身が気づかぬうちに、たくさんの問題を自ら招いて自分で自分を苦しめ、山あり谷あり、いやいや、谷や険しい道があまりに多かった20代から30代半ばまで。
そうこうしているうちにあっという間に35歳になり、このまま一人で生きていくしかない、と覚悟を決めた数日後に本当に予想外のことが起こります。

ありえないはずの、主人との再会でした。
まさに人生の大どんでん返しです。
主人と再会し、一緒に居るようになってからすぐに食べ吐きがなくなります。

この人だったら、今までのことを何もかも話しても大丈夫かもしれない。
そう思って、それこそ事細かに幼い頃からあったことすべて話しても、主人は全くなにも動じず、そこにいて受け止めてくれました。
ありのままの私を認めて欲しいのに認めてもらえない心の中の穴を、その事実があっという間に埋めてくれて、嘘のように気持ちを安定させてくれたのです。

ちょっといろいろあって離れている時期もあったのですが、今までだったらそんな不安定な状況だったらすぐに食べ吐きが始まるのに、食べ吐きは止まったまま。
十数年間、何かあると食べては吐くことを繰り返していたのに、なんで止まるんだろう?
ちょっと経ったらまた始まるのかな・・・。

最初は不安な気持ちでしたが、16~17年近く断続的に続いていた食べ吐きは気付いた時にはなくなっていました。

後で聞いたのですが、主人は私が食べ吐きしていたことを知った後、摂食障害について書かれた本を片っぱしから読んだそうです。
私自身は自分のことなのに、摂食障害について調べたことすらありませんでした。
それは、自分自身のその問題の底にある根本原因を考えることをせず、無意識に目を背けていたからです。
食べ吐きという表面的な事象については、どうにかしなくてはいけないという思いはいつも持っていました。
その問題の奥に自分の心の問題があること、根本原因が親子関係であることに、それまで本当の意味で気がついていなかったのです。

食べ物を粗末にして、自分自身も傷つけながら吐き続けた期間。
ずっと、料理は好きで作りたくて作るのに、裏腹に食べては吐く、で食べ物を粗末にする。
居場所が欲しくて欲しくて、認めて欲しくて、でも私の両親は私本来の姿を本当の意味で認めてくれることはなかったことに苦しんで。

それが、主人がそのままの私を認め受け入れてくれて、大切にしてくれて。
やっと自分の心の居る場所ができたことで、自分自身でも少しずつ自分のことを認め自分が居ていいのだと思えるようになったこと。
それによって、自分自身を大切にすることができるようになりました。
同時に、自分が安定したことで他者のことも大切にできるようになり、人間関係も少しずつうまくいくようになっていきました。

私にとっての「家庭料理」とは

料理が好きになったきっかけは、前述の通り、ありのままの私自身のことを誰よりも認めて欲しかった母が、料理に関してだけは認め、褒めてくれたから。
最初にちょっと教えてもらって、あとは自分のその日の気分や体調に合わせ自由にレシピをアレンジして、オリジナルの「美味しい」を作ると手放しで褒められる。
料理は作れば作るだけうまくなるし、褒められるからもっともっと考えて作りたくなる。
自分自身が唯一、型にはまらなくても認めてもらえたことの嬉しさから料理を作るようになり、そして気付くと何よりも料理をするのが好きになっていました。

こうじゃなきゃいけない、こうしなくちゃ絶対にダメなんです。
これ以外の作り方、レシピは正式ではありません。これ以外は間違いですし、認められません。
料理の世界にいると、そういうお話をされる方にも出会います。
もちろん、飲食店で提供したり、例えば宮廷料理のようなものであれば、伝統を守り伝えていくためにそれも必要なことだと思います。
否定はしません。

でも、毎日毎日の中で、レシピ通りに作るとちょっとだけ余る野菜、ほんの少しだけだったら多くてもいいじゃない。
季節によって、育った場所によって硬さが違って育つ野菜、切り方をちょっと大きくしたり、小さくしたりして仕上がりを調整しよう。
ちょっとだけ調味料が足りない、では同じ味の系統のこの調味料を足して使ってみたら、あら、味により奥行きがでて素敵じゃない。
飛ばすと美味しく仕上がらないポイントは押さえて、でも省略できることはして、より調理をシンプルにして短時間調理に。
残りの食材を組み合わせて無駄がないように、同じもので全く違う料理にすれば飽きずに全部食べてくれて嬉しい・・・。

「こうじゃなきゃいけない、これ以外はダメ」ということは、家庭料理では何一つないのです。
美味しい料理を作るために、押さえるべき点はきちんと押さえた上で、あとは限りなく自由に、そして楽しく、食卓を一緒に囲む人のために心を込めて、元気でいてほしい、美味しく食べてほしいと願いを込めて作る料理。
それが、私にとっての「家庭料理」です。

そしてもう一つ、家庭料理は私にとって「自分が居ていい場所」を象徴するものでもありました。
いつも必ず家に帰れば食事がありましたし、なくても母は必ず作って出してくれました。
この点は、本当に心から母に感謝していますし、見習うべきことだと心から思い今でも実践しています。

自由に発想し工夫することで、美味しくて、どんどん新しいレシピが出来上がっていく。
美味しく仕上げるために絶対に押さえなくてはいけないポイントは外さず、よりシンプルな調理で素材を活かして美味しく。
身体の中にすうっと入って素直に美味しいと感じられて、気持ちも身体も元気になっていく料理を作り、それを楽しみに家族が帰って来てくれる。

主人と一緒に居るようになり、名もない、でも家族を想い身体を作る家庭料理を日々作り、食卓を囲む事が何よりしあわせを感じる時間になりました。
料理をし、一緒に食事をすることがこんなに楽しいと感じるようになれた事。
食べたいけれど普通に食べると太るから、吐かなくちゃと思うことなく楽しく食べるのが「普通」になったのが、本当に嬉しかった。

家族に作る一個人の「家庭料理」から仕事へ

やがて娘が産まれ、忙しい日々の中で食事作りに心を掛ける余裕が少なくなったほんの短期間で、体調は大きく崩れ、幼い頃からのアトピーが人生最大級に悪化します。
これをきっかけに自分の体調を回復させるために、食を取り巻くいろいろな事まで考え、取り組むようにならざるを得ない状況に否応なしに追い込まれました。
今だから良かったのだと言えますが、その当時はアトピーの痒みや痛み、見た目の酷さに摂食障害とは違う苦しさを味わいました。

今までのような対処療法では同じ事の繰り返しになる、とにかく身体をなんとか良くしたい。
身体は食べるものでしかできていないから、もう一度、ちゃんと何を食べているかをきちんと考え身体を変えていけたら。
その思いから、調味料をはじめ、さまざまな食材の原材料もチェックするように。

その流れの中でいろいろ調べるうちに、自分が気づかぬうちに思いもしないものを口にしている事を知りました。
もしかしたら、自分が意識しない間に摂っていたさまざまな添加物が、私の身体にとってはストレスでアトピーを悪化させる原因だったのかもしれない。
自分自身で食べるものを意識的に選び、選ぶために調べ、を繰り返していくうちにいろいろなことが見えてきました。
そして、自宅で作る食事では食品添加物など人工的なものを一切使わない食事を作る事を心がけるようになりました。
とにかく自分の体調を良くしたい一心で、必死でした。

時間がない中で、とにかく素材を活かし、シンプルにそして手早く料理することを以前に増して考えるようになりました。
簡単で美味しくて自分が素材から選ぶから納得できて、同じ素材で何通りもの料理が作れるから、飽きないし無駄がない。

娘の周りの保護者の方達から聞かれることは「食事作るのが大変で」「面倒だよね」「忙しいから負担だよね」という声。
ゼロカロリー飲料を多飲するご家庭、疲れ果てて出来合いのお惣菜を日々買ったりするご家庭も。
私も、同じように疲れ果て出来合いのお惣菜を買って食べていたこともあるので、その状況は本当によくわかります。
でも、その口にしているものが、自分たちにも子供たちにも将来的になんらかの影響がある可能性が排除できないこと。
私が育った頃よりもずっと多くの子供たちが喘息だったり、アレルギーを持っていたりしました。
私自身が自分の身体で実体験しているからこそ、何かの形でそのことを知ってもらえたら、そして考えてもらえたら。

難しい、面倒だ、と思っている料理が、実はシンプルな調理だけで美味しくなるということがわかれば、状況が変えられるかもしれない。
消費者自身が知識を持ち、自分の目で見て自分の頭で考えて、調味料や食材を買うこと。それができる人が増えたら、世の中がより良い方向に変わるのでは。
少しの手間、でも相手を思う心がたくさん入っている家庭料理が並ぶ食卓を囲むことで、心も身体も健康でしあわせになれることを知ってもらえたら。

若い頃、夢みたものの手のアトピーが酷かったために諦めた食を仕事にする事を考えるようになり、40歳を過ぎてから思い切って独立しました。

とはいえ、なんの縁故も持たずに夢だけで始めた料理の仕事、そして家庭料理教室は、当然と言えば当然なのですが最初はなかなかうまくいきませんでした。
売り上げが月5,000円しかあがらず、絶望的になったこともあります。
こんなに大変だと思わなかった、もうやめよう、と思ったことは数知れません。
仕事が順調に行きかけた頃に仕事上で大きなダメージを受ける出来事に遭遇し、ノイローゼ状態になり、止める寸前まで追い込まれたこともあります。

それでもなんとか立ち直って仕事を続け、いろいろな山をさらに超えて、まだまだこれから。
順調からは程遠い私の人生ですが、それでも今日が一番しあわせだから、それを大切に全てに感謝しながら過ごしたいなと。

家庭料理を通して、しあわせの輪を広げていきたい

私自身は、摂食障害を乗り越えたことをこうやってお話しするつもりは、本当につい最近までありませんでした。

食べ吐きが止まった時、本当に安心してもう大丈夫、摂食障害が治ったんだと思えるのは、食べ吐きをしていた期間と同じ時間が経った時だなと感じました。
正直に言うと、最初の数年間はいつ再発するのかしらと心配でした。
だから、体調が悪くて吐いてしまうことがあると、必ず主人に話してこれはこういう体調の悪さが原因だよね、大丈夫だよねと確認もしてもらうことを必ずして、自分自身にも大丈夫だよ、と話しつつ、ここまで過ごしてきました。

摂食障害から回復して10年くらい経った時からでしょうか。
少しずつ、少しずつ、この人には話していいかなと思う人には摂食障害だったことを話せるようになりました。

この春で、摂食障害で苦しんだ期間とそこから回復した期間がほぼ同じになっていて、ホッとして、もう大丈夫だとやっと思えるようになりました。
その時のタイミングで、たまたまある人に摂食障害だったことを交えて、なんでこの仕事をしているかという話をしたのです。
そうしたら、摂食障害を乗り越えたことを話した方がいい。
それが今、摂食障害で苦しんでいる人の力になるはず。摂食障害で苦しんでいる人の希望になるはずだから、と言われてびっくり。

食を改善することでアトピーを乗り越えたことも、どう伝えるか迷ったのに・・・。
ましてや摂食障害のことをお話しするなんて正直考えたこともなかったので、どうしたらいいものやらと・・・。

摂食障害という自分の心の問題が、主人と一緒にいることで解決し乗り越えられたこと。
アトピーという自分の体の問題が、食を見直すことで良い方向に向かってくれたこと。
私が家庭料理を仕事にしようと思ったのは、摂食障害を乗り越え、そしてアトピーを乗り越えてきたから。
この2つを乗り越えることがなければ、今、この仕事をしていることは絶対にありません。

美味しい料理を作るために押さえるべき点は押さえ、あとは限りなく自由に、そして楽しく、食卓を一緒に囲む人のために心を込めて、元気でいてほしい、美味しく食べてほしいと願いを込めて作る家庭料理。
「自分が居ていい場所」を象徴する家庭料理。
自分が食べる素材を自分で考えて選び、素材を活かしシンプルにそして手早く料理することで、体の中から元気になる家庭料理。

自分が経験したことをお話しすることで、「家庭料理」を通して、一人でも多くの方が元気に幸せに日々過ごしてほしいという想いを伝えられれば。
なんでもない日常の生活の中で毎日食べ続ける家庭料理で、自分をふんわりと優しく包み、まず一番に誰でもない自分自身をしあわせにして欲しい。
そしてそのしあわせを、家族や友人、大切な人にどんどん広げて、しあわせの輪を大きく広げて欲しい。
そのための「家庭料理」なのですから。

私の経験が、今、摂食障害に、そしてアトピーに苦しんでいる方にも、日頃の食事作りがちょっと負担になっている忙しい方たちにも、そして家庭料理を作りたいと思っている全ての方に少しでもお役に立てるように。

自分を大切にするためほんのちょっとの手間とたくさんの心をかけて、楽しんで家庭料理を作るお手伝いができればと思って始めたお料理教室が、私の主宰する家庭料理教室「クッキングサロンM&Y」です。
これからもその想いをお伝えする場として、このお教室を始めた気持ちを忘れずにぶれず、流されずに。
笑顔で楽しみつつ家庭料理を作る方が少しでも増えるよう、私自身も楽しみながら心を込めて美味しい家庭料理レシピを日々考え、お教えしつつこれからも過ごしていきたいと思っています。

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