Mihokoブログ

鰹節・だしのものがたり9:江戸初期における「鰹だし」

こんにちは!
伊豆田子節と北海道産天然真昆布が織りなす、身体と心を満たす「魔法」、おだしマジック!®️の髙窪です。

今日はまだ暖かいですが、日没後は一気に冷えるそうです。
くれぐれも体調には気をつけてくださいね。

さて、少しずつお伝えしている鰹節とだし、についてのおはなし。

9回めの今日は・・・
江戸初期における「鰹だし」について、です。

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昨日のブログで書いた、当時人気の料理流派だった四条流は、16世紀初頭に「四条流料理書」や「四条流料理綺譚」を編纂しました。

また、大草流は16世紀後半に「大草流料理書」を編纂して、貴族や武士の食生活に大きな影響を与えたとされています。

これらの料理書の中では「鰹」が煮出しの材料として使用されています。

この点から見ても、この時期には堅魚や煮堅魚、堅魚煎汁は次第に使われなくなり、初期のかつおぶしを煮出したものがだしとして使用されるようになったと推察できます。

この時代になると、「鰹だし」はさまざまな料理書で「料理に欠かせないもの」として扱われています。

江戸時代初期の寛文8年(1668年)に成立した料理書「料理塩梅集」には、調理法や食材の使い方が詳細に記されており、その中には当時の鰹節でとるだしのとり方について、具体的な記載があります。

この続きは、また次回のお楽しみに🐟

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