Mihokoブログ

家庭料理のおはなし その9:命の「波動」を感じた出来事が、すべてのはじまり

こんにちは。正しい手抜きメソッド・おだしマジック! 家庭料理研究家の高窪美穂子です。
今日もはっきりしない曇り空、秋を感じる涼しさですがまだ動くと汗ばみますね。

さてさて、昨日今日のお弁当日記でもちょっと書いたんですが、北海道のせたな・やまの会のメンバー、ハルさんから明日トマトや野菜が届きます。

やまの会とのお付き合いはもう10数年、家族ぐるみでのお付き合いで、先日ワークショップを開催した土屋グループさんの札幌ショールームこけら落としで歌を披露した中田雅史くん家族とのご縁も、やまの会から。
とにかくたくさんのご縁を「やまの会」との出会いからいただいたのですが、その始まりは命の「波動」との衝撃の出会いからでした。

元々持っていた私の食に対する思いをさらに強くし、「いのちをいただくこと」や「食」に関しての考え方を大きく変えたその「波動との出会い」が今日のおはなしです。

◆生まれながらアトピーがこの仕事のきっかけをくれた

もともと父の遺伝で、生まれながらのアレルギー体質。
物心ついた頃には、アトピー敏感肌で、ちょっとしたことで腫れたり、かぶれたりしては掻きこわし、の繰り返し。
皮膚科にはしょっちゅうお世話になっていましたっけ。

アレルギーなどはない、という主張をされる方もいらっしゃいますし、病気が治らないのは本人が病気でいたい理由を心に持っているから、などとおっしゃってそれをコンサルで解決するお仕事をされている方もいらっしゃいますが。。。

私自身の経験、そして一生涯喘息に苦しみ、なんとか治したいと必死で努力していた父をずっと身近に見て育ったこともあり・・・
アレルギーなどというものはそもそも存在しない、や、自分が病気でいたい理由があるから病気になるのだ、という考えは一概には当てはまらないなー、と考えています。

まぁ、それはそれとして、アトピーに良いと言われたルイボスティーが日本に入ってきてすぐに取り入れて飲んだり、その他いろいろ、西洋医学の対処療法と併用して民間療法的な「効く」と言われていたものはいくつも試したり、でしたが、アトピーはよくなったり悪くなったりの繰り返し。

大学を卒業して数年後には、ちょっとしたきっかけで悪くなり、その頃お世話になっていた病院で処方された1・2日しか使えない強い薬の効きがあまりに良く、学会発表の症例報告に使われたり、などもしましたっけ。

そしてそこからさらに十数年後、娘を出産後に人生最大級に悪化したアトピーに苦しみ、良くなったり悪くなったり、の繰り返しをこれ以上したくない!と、食を見直し3年かけてアトピーを改善した経験が、今の仕事に繋がる直接のきっかけになりました。

あれだけ苦しんだアトピーが今の仕事のきっかけとなったり、自身の歪んだ親子関係が結果として人としての気づきになったり、と全てが繋がっているのだ、とあらめて思い返していますが、そんな様々な経験の中でも・・・

私が今の仕事をするにあたり核としている「命を巡らす」「命をいただく」考え方を持つきっかけとなった、大きな出来事。
それは、まだ「やまの会」が産声を上げる前、やまの会の創設メンバーで今はNZに移住した上泉さんの「ファーム・ブレッスドウィンド」の放牧黒豚との出会いでした。
※現在、農場は福永一家が引き継いでおり、変わらず「やまの会」メンバーです

◆生まれて初めて感じる「命の波動」に心が共鳴して涙して・・・

3年かけてアトピーを改善後、料理の仕事をしたい!人の役に立ちたい!という思いだけで独立したものの、縁故も何もない状態での無謀な独立でしたから、当然仕事はありません。


これからどうやって仕事を作って行こうか、と悩んでいたときに、親友の一人から「みほばぁはこういう無添加の食材が好きでしょ。私の実家の街で新規就農した中高の後輩夫妻の農場が作っている加工品送るね。こうやって知ってもらわないと、後輩たちもなかなか知ってもらうチャンスもないからね」というメッセージとともにハムやソーセージの詰め合わせが届きました。

彼女とは東京で知り合ったため、彼女の出身地が北海道でご実家が牧場を経営していることくらいしか知らなかったのですが、今では私の第二の故郷のようになっている北海道・せたな町出身だったのです。

彼女が送ってくれた上泉さんの加工品はどれも本当に美味しくて!
他はどんなものを作っているのかなぁ、と興味を持ちネットで調べたら、生肉も通信販売しているようです。
でも、せっかくなら塊肉使ってみたいなぁ。と思い、思い切って電話をしてみました。

せたなの**牧場のお嬢さんである**さんが私の親友であること、その親友が上泉さんのファームブレッスドウィンドの加工品を送ってくれたこと。
とっても美味しかったので、調べたら生肉も販売していることがわかったこと。
実は私は料理の仕事を始めたところで、是非とも塊肉を買ってみたい、料理してみたいと思っていることなどをお伝えすると・・・

「わかりました。生産量が少ないので数ヶ月お待ちいただきますが、それでもいいですか?」というお返事をいただき、確か待つこと1〜2ヶ月・・・。
念願の豚ロース塊肉が届きました。

ワクワクしながら包みを開け何気なく豚肉に触れた瞬間・・・
それが、私が生まれて初めて豚肉から強い「命の波動」を感じた瞬間でした。
一瞬何が起こったのか、全く理解できなくて。
でも、もう一度触ってみると、確かにドクドク、ドクドク、命の波動が伝わってくるのです。

それをはっきり感じたと同時に、自然に涙が溢れて止まらなくなってしまいました。
あ、私、命をいただいているのだ。


生きた命をいただいて、自分の命を巡らせて生きているのだ、と、生まれて初めて強くつよく感じて、魂が揺さぶら続けて。

今でも、思い出すだけで涙が出てくるほど、命の波動と波動、心の深いところが共鳴した私の人生を大きく変える経験だったのです。

◆命の波動が産んだ出会いの連続から知った「生きることの本質」

小さな頃から、父方の実家・山口の周防大島に行けば生簀で泳ぐ鯛を選ばせてもらって刺身に捌いてもらったものを食べたり、母方の実家・水戸は本当に広い地所でしたから鶏を飼っていて産みたて卵を取りに行ったり、春には庭の竹の子、初夏には何百本も植っている梅から取れる梅を送ってもらったり、など当たり前のように体験していましたが、それはあくまで「刺身」だったり「卵」だったり。

食べ物そのものであって、命とイコールであるなんて、幼い私は考えてもいませんでした。

大人になってからは、もちろん命をいただいていることは頭では理解していました。

でもそれはあくまで頭での理解であって、体感はしていなかったのです。

それが上泉さんの豚肉の波動を感じ、頭をバットで叩かれるような衝撃を受けたことで、捉え方ががらり、と変わりました。

そして同時に、もっともっと食材のこと、いただいている命のことを知りたい!と強く思うようになりました。

上泉さんの豚肉が発する波動が私の心の奥と共鳴し、その波動がまた新たな波動を生み出す・・・
その後すぐに上泉さんに連絡を取り、材料費も全てこちらが出すので、上泉さんの生産物の販促用レシピを作らせてください、とお願いし、3年近くレシピだしをしている中で信頼関係を築いていきました。

その期間の半ばごろ、やまの会ができると知ったときに、新たな波動に私もまた動かされ、どうしても会いにいきたいと無理をお願いしました。

あの頃はちょうど豚口蹄疫が大流行していた時で、外部の人間を受け入れるのも躊躇する人が多い中、上泉さんご一家は「カバンや靴、せたなのバス停で全部、酢で消毒してください。それから農場に入るときに石灰踏んでね」ということだけを条件に受け入れてくださったこと、今でも心から深く感謝しています。

そして5月末、まだ保育園児だった娘を夫に任せ1日かけてせたなに行き、やまの会の代表である富樫さんのご自宅のキッチンで、やまの会のみんなの食材を使って十数種類料理して・・・。

全ての食材を触れるたびに感じる感覚が楽しくて楽しくて、そんな素敵な食材で料理できることが嬉しくて嬉しくて夢中でしたっけ。

さらに、その夜遅くまでやまの会のみんなと色々と話したことがきっかけで、自分の視点が変わりました。

私の視点を変えたのは、やまの会のみんなが共通で持つ「思い」。

「僕らは、クオリティを保つためにも大量生産するつもりはない」
「確かに今の量では大きく稼ぐことはできない。でもきちんと生活はできる」
「だから、自分たちが納得できるクオリティの農産物を生産して、これからも生活していく」
「そして、新たに就農を目指す人に農業でちゃんと生活できるということを示すことができるようにこれからもしていく」と。

足るを知る、ことが大事だと。
「もっともっと」という世界観が渦巻く東京でずっと生活していた私にとっては、予想外の言葉だったです。

せたなは夏はとても穏やかで美しいところですが、冬は本当に厳しい寒さと雪に閉じ込められる街です。

その中で自然と向き合って、日々生きている彼らの言葉はシンプルでストレート。
命を育て、そして巡らせて生きる活計を得ている彼らの生き様から、生きるということの本質が伝わってきて・・・

そう、足るを知る、それは命に向き合っている彼らが、命の重さを日々感じ大切にしているからこそ、心からでた言葉でした。
自分が生きるための必要な命は大切にいただき巡らせるけれど、それ以上は決して奪わない。

それで十分なのだ、と。

いただいた命は最後まで大切にするのだ、と。

あのせたなでの数日間、体感した全ての波動が私の心と共鳴した時間でした。
そしてそれがさらなるきっかけとなり、農業現場に実際に行き、命について深く理解したいと強く思うようになったのです。

そこからは毎年せたなはもちろんのこと、ご縁をいただいた様々な生産地へ直接出向くようになり、気付けば移動距離は地球半周以上になっていました。

◆命や自然の息吹を伝える「命を巡らす料理」へ

世の中には食に対する様々な考え方を持っている方がいるのは当然で、その中には「動物を食べることは残酷だ」と、肉食をすることや魚食をすることを強く非難する人もいます。

でも、考えてみてください。
人間は残念ながら、なんらかの命をいただかないと命をつなぐことができません。

血を流したり声を出す生き物の命をいただき、食べることと、声が聞こえない植物を食べること。

そこに「命をいただくこと」の差異はないのです。
いずれにしても命をいただくことでしか命をつなげないのが、人間なのです。

そのことを決して忘れてはいけない、のです。

それを日々の生活で体感しつづけている人の迫力や言葉は、黄金よりも重い重さを持っている、と、ここまでたくさんの生産者さんとお目にかかってお話しした経験から体感しています。

そしてその重さ、言葉の波動を感じる経験を、私もまた伝えて巡らせていく。
それが私の役目の一つ、といつも思って料理しては家族と共に話をしたり、料理教室でお話したり、メソッドでもお話ししたり。

その大切なことを繋いでいく、伝えていく料理のもまた家庭料理の役目、なんですよ。

命と日々向き合っている「やまの会」のみんなのエピソード、伝えたいことがまだまだたくさんあるので、それはまた別のコラムで、と思います。

それでは次のコラムもお楽しみに。

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