Mihokoブログ

家庭料理のおはなし その4:家庭料理が持つ大きなチカラって?

こんにちは。
正しい手抜きメソッド・おだしマジック! 家庭料理研究家の高窪美穂子です。

昨日は、午前中に最低限の仕事を片付け、どうしても気になっていた先祖供養に家族で浅草寺へ。

この状況ですので先祖供養の申込だけして帰ろう・・・と思っていたら、今日は人数制限をして特別に本堂の中に入れていただけるからどうですか?と受付の方が案内してくださいました。

センサーで熱を測り手指消毒もして、いつもよりも短縮版ではあったけれど、無事に先祖供養が済んで気がついた・・・

7年前の同じ日、父が煙になった日に先祖供養に来た、いうことを。

家族との軋轢が原因で長い間摂食障害に苦しんだこともあり、両親には嫌悪と感謝が入り混じる感情をいまだに持ち続けています。

まだ存命の母のことは人として、きっちりと世話もしていますが、ここのところコロナのその他で、父の命日がすぎていたことをすっかり忘れていたのです。

そのことを信じられない、親不孝と思う方もいるかも、ですが・・・

長い期間、筆舌に尽くし難いほど色々なことがあったことを思い返すと、気持ちから無意識のうちに消していたのかもしれません。

それでもこの数日で、なぜか折々で昔のことを思い出す機会に出会っていたのは、こういうことだったのかなぁと思っています。

家族との軋轢で発症した摂食障害に長いこと苦しんだけれど、今があるのもまた、母から習った家庭料理のおかげ。

食べるもの、家庭料理の持つ「チカラ」のことが、今日のおはなしです。

◆泥団子作りで乗せられ、具なし味噌汁作りで家庭料理の世界へ

私が一番最初に料理関連で褒められたのは、まだ幼稚園生だった5歳くらいの時のこと。

泥遊びの泥団子作りが上手だと褒められ、肉団子作りを手伝うことからスタートして、母の料理の手伝いを少しずつするようになりました。

そして小学校2年生の時のこと。
体調を崩した母のため、まだうまく使えない包丁を使って作ったのが大根とにんじんのお味噌汁。

それが私の家庭料理デビューとなり、それ以降も母の手伝いをしながら少しずつ家庭料理のことを覚えていきました。

その頃住んでいた家は、とても小さくて台所も狭かったけれど、高度経済成長期の専業主婦だった母は本当に色々なものを作っていたことを今でもはっきりと覚えています。

その頃まだ珍しかったグラタンやピザ、ラザニアにパスタ、クリームコロッケにシチューなどの洋食系の料理もとても上手でしたし、パンやペストリー類まで焼いていましたっけ。

サラリーマンだった父が持病持ちで神経質でしたので、父の健康を保つためにも食べるものにはとても気を遣っていました。

家事全般も完璧にし、加えて親族の世話や学校のことなどなどやること満載で、専業主婦だったにもかかわらず母は猛烈に忙しく、過労で倒れたり入院したり、ということが何度もありました。

そういった背景で私の手伝いがないとどうにも回らないから、ということもあったでしょう。

そしてもう1つ、これは後から聞いたのですが、まだ男尊女卑の考え方にガチガチに囚われていた時代の人らしく「女の子は一生料理をしないといけないから、だったら好きになって欲しい」という意図もあったそうで、料理に関してだけは褒められることばかり。

ほぼ家事の手伝いをしない?させない??兄とは対照的に、私は家庭料理だけでなく家事全般の手伝いはもちろん、中学生の頃にはお菓子作りにもどっぷりハマるようになりました。

◆コミュニケーションツールとしての「料理」に助けられた中高時代

旧家出身の母は躾のみならず生活全般において非常に厳しく、父もまた昭和の頑固オヤジを絵に描いたような人。

成長するに従い、全てにおいて親は私に「完璧な子ども」であることを求めるようになっていきます。

その頃何よりもおそろしかったのは、すぐに激昂する父の「地雷」が日によって変わり、どこにあるかわからない、ということでした。

ちょうど公立小中学校が大荒れの時代とも重なり、母の躾と、住んでいた地域の家庭との感覚の差にも苦しみ・・・

学校でも人との距離がわからずに「友達」も結局うまくできないまま、成績だけは良かったので私立中高一貫の女子校へ逃げるように進学しました。

そして思春期突入、中学2年生に家庭で起こった数々の出来事は私の心にも体にも深い傷を負わせることとなり、その後の私の人生に大きな影を落とします。

本来なら安心できる居場所であるはずの家庭では、常に人の顔色を伺い、求められるであろう姿を先回りして演じることを無意識にするようになったのです。

「自分本来の姿」で生きることは、親の理想とはかけ離れてしまうため、自分を守るために親の理想の姿に無理やり合わせるようにした、悲しい自己防衛本能だったのだと思います。

当然、学校でも家庭と同じように自分軸がないまま同級生と対峙しますから、もちろんうまくいくはずもない。

そうやってバランスを崩すギリギリのところで摂食障害を発症し、30代半ばまで苦しむことになりました。

そんな中でも何とか帳尻を合わせられたのは、中高生がハマるお菓子作りや料理が得意だったことだったのは、なんとも皮肉なこと。

母の意図的な方針に乗せられたとはいえ、私は心から料理をすることもお菓子作りも大好きでした。

大学時代には中高の友人から頼まれて、20歳そこそこで結婚した中高の友人のウエディングケーキを焼いたこともあるくらい、とにかくいろいろな種類のお菓子を夢中で作りました。

食べるのも好き、食べるものを作るのも好きで好きで。

それなのに、食べることに何よりも苦しめられる。

その裏腹な状況は、親にありのままの自分を認めて欲しいのに認めてもらえない、わかって!!という自分自身の心の叫びだったのです。

すっかり回復している今でこそ、その頃の自分の精神状態がわかるようになりましたが、摂食障害が治る直前まで、私は自分が食べ吐きする原因が親との関係に起因していたことに全く気づくことができなかったくらい、心のある部分の感覚が壊れてしまっていました。

◆人生の転換期には、必ず家庭料理が関わっていた

摂食障害を発症してから20年近くの月日が流れた30代半ばになって、やっと摂食障害を乗り越えることができました。

そこからさらに山あり谷あり、で今に至りますが、私の人生の大きなターニングポイントには、食べること、そして家庭料理が必ず関わっています。

お菓子作りや料理が得意だったことが中高時代の救いになったこともそうですが、もう一つ、学生時代にあった「ある出来事」は、その後、私の人生の中で大きな支えと自分の生き方の指標になっています。

それは私が大学生になり、だんだん外食が多くなってきた頃のこと。

学生時代の約束はゆるく、夕食はいらない、と言って自宅を出ても急に約束がなくなるといったこともよくありました。

まだ携帯電話もない時代です。

予定変更があったからと言って逐一連絡もしなくなり、ということが続いたのかどうだったのか、記憶は定かではないのですが・・・

ある時、母から急に「ごはんはいらない、と言って出かけて約束がなくなった時、遠慮して外で済ませる必要はないから。家に帰って来なさい。家なら食べるものは何かあるから、戻って来なさい」という意味のことを言われたのです。

その時は母に対してわかったわー、と軽く対応したのだと思いますが、この言葉は大きな力を持って私の心にいまだに深く深く刻み込まれています。

それはどういうことなのか・・・

ほとんどの人は食べないと生きていけません。

食べることを担保してもらえることは、あなたは命を繋いで生きていていい、と言われていることと同じだ、と私は思っています。

食べるものはあるから戻って来なさい、と言われたことは、生きていていいのだよ、と言われたことと同じことだ、と私は本能的に感じたのです。

親の理想の姿の娘でいる以外に存在意義はない、と無意識に演じていたことすらわかっていなかったその時期、その一言でなぜかとてもホッとしたことだけが、今も強烈に自分の中に残っています。

あ、私、生きていていいんだ、と。

もちろん、私は十分に食べさせてもらい、着せてもらい、学問も身に付けさせてもらいました。
その点に関しては、両親に感謝しかありません。

とはいえ、両親との軋轢で自分の本来の姿に価値を見出すことができなかったこと、演じ続けて壊れそうになっていた時に、その一言は私にとって大きな意味を持ち、家庭料理に対する強い思いを持つきっかけとなりました。

両親に対する嫌悪も持ちつつ感謝もあるのは、帰れば必ず食卓に家庭料理があったから。

暖かな愛情溢れる家庭ではなかったけれど、母の家庭料理が崩れそうな家族の形をなんとか支え、私のことも支えてくれていることを自覚できたことで、そこから今の家庭を築くまでの間のめちゃくちゃな時代も、なんとか生き延びることができたのだと思っているからです。

今、コロナでなかなか運営が難しくなっていますが、例えば「こども食堂」など、色々なことで苦しんでいる子どもたちに料理を提供することを第一としている場所が数多くあるのも、意味合いは同じなのではないでしょうか。

あなたは大切な命なのだ、生きていていいのだ、愛されていいのだ、ということをダイレクトに伝えられ、お腹と同時に心も満たす強い力を家庭料理は持っているのです。

家庭料理には、人を支える力があります。
次のコラムもお楽しみに。

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